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多分私の書くそれは、あまり感情を謳うものではないから


新しい曲のスケッチがやってきたので、
ここ最近、「何か良いアイデアや言葉が浮かんでこないかなぁ」
と、神様のお告げをぼんやり待っておりました。

というのは半分嘘ですが(笑)
徹底的に意識して待つ、という感覚の中で
鉛筆を握りしめる、とい雰囲気でしょうか。

握り締めても何も浮かばない時間もあれば
そこに鉛筆がなくても、その世界に大変重要なフレーズが浮かぶ瞬間もあり。

今回のその瞬間は、朝の満員電車にやってきたので大変。
大体、いいフレーズやアイデアが浮かんだら、
そこから半ば一気にキーワードを捕まえたい習性があるため
ある程度整った環境(それはちょっとした時間や静けさ、整った姿勢など)に
身を置くほうがポンポンと出しやすいです。

しかし、今回は少々忙しい日々の中。
満員電車でも小さなノートを広げて
ふらふらしながらつらつらと風船を膨らませていきます。

終着駅に着いたころには、おおよそのアイデアが頭の中には浮かび
言葉の断片地図のようなものがノートに書き出されます。
ここまでは余り譜割は気にしませんので
好き勝手にノビノビとキーワードを出しながら
ざっとした構成を思う程度。

そして、ここからが勝負です。

このスケッチを元に、トラックを何度も何度も繰り返し聴き
歌詞へと進化させなくてはなりません。
この一連の作業は、すでに世界観がある程度固まっている段階なので
自分がどんな状況に置かれていても割りと平気です。

仕事の合間のランチタイムだとか。
電車の中やカフェの中だとか。
一旦譜割の配列を押さえてしまえば
場所はどこでもかまいません。

それは多分、とても細かい部分を考えることになるので
ゆったりした場所でも、せかせかした状況でも
結局、強く集中してしまうためなのだと思われます。

自分の精神状態もあんまり関係ないため
例えば、怒られた直後でも隙間の時間があれば
すぐに楽しい世界で遊ぶことも可能です。

否。

おおむね世知辛い状況の時こそ
こうした時間が貴重なのだと感じております。

歌詞というのは、音の制限を受けます。
譜割にそって言葉の意味やリズム、音色を寄り添わせます。
これは大変に悩ましいことでもあります。

制限。

しかしながら、この制限が私の頭の中を拡げてくれます。
制限あるところに自由あり。
自由感じるところに制限あり。



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電子書籍時代の編集者

2月8日になりますが、佐々木俊尚さん(http://www.pressa.jp/)というジャーナリストが『電子書籍時代の編集者』というタイトルで、各社の編集者を対象に、タブレット、電子リーダー登場の意味と今後の予測についてお話しをされました。
私は編集者でも出版関係者でもないのですが、ちゃっかり潜入してまいりました。しかも最前列(笑)。

今日は少し長くなりましたが、その内容のメモを記載しておきたいと思います。私のここ数カ月のまとめとしても、大変面白い流れの内容でした。
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■タブレットの意味電子書籍コンソーシアムで約10年前に既にディスカッションされていた内容であるけれども、「Kindle」という電子デバイスを活用した新しいビジネスモデルの登場や、音楽配信流通を制覇したアップルの新製品「iPad」の登場により、電子書籍時代の編集者/出版社のあり方を真剣に考える時期に。
■デバイスにはデバイスに適したデザイン~アフォーダンス例えば、iPhoneの産経新聞APPはiPhoneのデバイス特性に対してそのまま新聞紙面のレイアウトを持ち込んでいるが、大変読みづらい。なぜ、新聞紙面があのようなレイアウトなのか? それは紙の体裁を考えた上での最適な視線誘導効率を考慮した結果であり、iPhoneという全くことなるUIには不適切である。
※アフォーダンスとは、物体の持つ属性(形、色、材質)が、物体自身をどう取り扱ったら良いかについてのメッセージを生物(ユーザー)に対して発している、とする考え。有名な例でいうと、今目の前にイスが置いてあるが、このときこの椅子は特に「座れ」と字が書いていないのにもかかわらず、この椅子は座れるものだと分かる。これはこの椅子自身が「座る」ことをアフォードしているからである。
■自分の感覚体験で物語るなそもそも、雑誌や新聞の既存デザインは意味ないのではないだろうか? 例えば携帯小説。あの小さい画面で読むのは辛い、ありえない、という意見があるものの、実際、若年層はあの小さな画面で万単位の文字で構成されている携帯小説を読んでいるのである。自分がもっている感覚体験だけで語るのではなく、ロジカルに事象を分析することが重要である。
■距離と姿勢とサイズのマトリクス





アイスランドラム

先週は久しぶりにアイスランド大使館へ。
アイスランドデザインについてのアフタヌーンティ。
そして週末は10月にアイスランドに一緒に行った方々と
渋谷にある、アイスランドラムのジンギスカン屋さんで宴会。
楽しい人々と楽しい話題で楽しいひと時☆

アイスランドは物価が高くて、羊肉なんてそうそう食べられないわけですが
なぜか渋谷ではリーズナブルな価格でご提供中でした。

実はラム肉は苦手だったのですが
さすがアイスランドラムはクセがなくて柔らかくてとても美味しい★

2次会はなぜか渋谷の千両(新橋っぽい居酒屋)で
参加者持参のアイスランドのお酒、ブレニヴィンを少々いただきました。

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1月はMUM来日
2月はビョーク来日

なんだかんだでアイスランドポイントが結構ございます。

そして、その先へ

3月11日。

それは私の誕生日。
今年の誕生日は、一生忘れられないものとなりました。

9月11日。
3月11日。

どなたかが、この両日は丁度、半年間隔であるとおっしゃってました。
一年に2回、人々が背筋を伸ばし全体の広がりの中で思いを馳せる日が来ると。

3月11日以前、私は正直なところ日本という国にうんざりした気持ちを持つことも多く
今年こそは自分自身も、そして同時的に社会の意識も変っていかないものか、と
日々、思考が交錯していました。
なので、今年に入ってからはブログに何を書けばいいのかも分からず
悶々とした2011年前半を過ごしておりました。

東北や茨城エリアの被災した皆様については
本当に一日も早い環境の復興と
心身共にわたる大きな痛みが回復できるように
心から願っております。

今、私にできることは節電や募金などの遠隔活動なのかと思い
日々、継続的に実行していくのみです。

そして、全ては近いところから始めるのが私の考えですので
家族、親族との温かいやりとりを中心に
それぞれが同じように温かい気持ちで接することで
全体が調和できると考えています。

大それたことはできないですし
確実に浸透させたり、何かを変えていくためには
やはり、近いところから始めなければと。

そのようなことが、現実、3月11日以降、
身の回りで起き始めています。
私も多いに近い人たちからの温かさを感じ
その影響を受けています。

日々の小さな暮らしの中で
そういう発見ができることを
私は嬉しく感じるとともに
遠く離れた辛い思いをしている人々の間にも
何かしらの温かい光が灯っていますようにと
心から祈っております。

2011年3月11日。
奇しくも、悪夢の3.11という枕詞がついた私の誕生日。
より一層、この日を大切に思える人生を迎えられたことを
私は今、凛と感じています。